〜適応障害を克服するために〜たまごどうふの体調記録日記

たまご豆腐の体調記録日記〜適応障害を克服するために〜

適応障害で休職中の新入社員が綴るブログ

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新入社員の私が適応障害になるまで①ー入社4ヶ月で出社拒否

こんにちは。適応障害で休職中のたまご豆腐です。

私が、社会人になってから適応障害と診断されるまでの経過を書いて行きたいと思います。

今振り返ってみると、入社してからずっと心身ともに緊張する毎日が続いていたように思います。

 

忙しかった日々

 

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研修などもなく、入社したその日から引き継ぎもほぼないまま仕事を任されるようになりました。

上司は優しい方が多かったのですが、皆それぞれの仕事が忙しく、あまり他人のことに構う余裕がなかったように思います。

夜遅くまで残業したり土日に出社していたりしている方や持ち帰りで仕事をしている方もたくさんいました。

私は、プライベートの時間に仕事をしたくなかったので、土日出勤や持ち帰り仕事はなるべくしないようにしていました。そのため、他の方よりも、平日の残業が多くなることがありました。

残業時間は月に90時間ほどだったと思います。残業手当はつきませんでした。

とはいっても、休みの日はしっかり休み、平日も睡眠時間を確保していたので、勤務時間の長さはそこまで辛くありませんでした。

 

やりがい搾取?

物理的な忙しさ以上に辛かったのは、「仕事のやりがいのためには激務も厭わない」というような考え方を皆が持っていたことでした。

そのため、仕事のことで愚痴を言いにくい状況にありました。プライベートの時間も仕事のスキルアップのために使う人が多く、それを推奨するような風潮になかなか慣れることができませんでした。

前任から引き継いだ、取引先の担当者の方から文句を言われることも多くありましたが、勉強をさせていただいていると思い、いただいた指摘にも感謝するようにしていました。

しかし、一度、私とその担当者の方とのやりとりを別の部署の先輩が見てくれていた時があり、「あの人ちょっとキツすぎるね。」と言ってくれました。

その先輩が上司にかけあってくれましたが、担当を代わってもらうことなどは出来ませんでした。

「やりがい」を感じて激務を厭わずに仕事をしている人もいる一方で、私が頑張ることができなかったのは、結局のところ、私の仕事への姿勢が甘かったからなのだと思いました。

 

上司からの言葉

毎日、上司から「早く帰りなさい」「残りは家でやるか、明日(土曜日)来てやったら?」「優先順位をつけてやったら?」などと言われることも、ストレスでした。

残業をしている新入社員を前に心配して色々言ってくれていたのだとは思いますが、当時の私はプレッシャーに感じてしまっていました。

その中でも「おしゃべりを減らしてみたら?」と言われたときはショックでした。

勤務中も自由に話をする人が多くいる職場でしたが、私自身は休憩時間中以外は、直接話題を振られた時以外は無駄話には参加しないようにしていました。なのに、仕事をサボっているから終わらない、と思われたような気がして辛かったのを覚えています。

とはいえ、怒声を浴びせられたり、人格的な否定をされたりなど、世間一般に言うパワハラなどを受けたわけでもないのに、

過度な緊張やストレスに負けてしまった私は、他人からの評価を気にしすぎていたのだと思いました。 

 

体の不調 

入社してからずっと、「あと何日行けば休みだ」と一週間を数えながら出社をしていました。

平日、帰ってくると疲れてそのまま寝てしまうこともあり、そのうち夕食がなかなか食べられなくなりました。

金曜日の夜が一番嬉しく、日曜日の夜は憂鬱で仕方ありませんでした。

サザエさん症候群」という言葉があるように、多くの社会人がそのようにして、なんとか折り合いをつけながら頑張っているのだと思っていました。

だから、私も慣れればなんとかなる、と思いながら出社していました。

出社してしまえば、忙しいこともあり、すぐに1日が終わっていきました。夕方になり、定時が過ぎるとアドレナリンが出てくるのか、毎日、夜になるまで仕事に取り組んでいました。

そうやって疲れが溜まっていったのかもしれません。

入社して3ヶ月頃経った頃、朝起きると、体が重くベッドから起き上がるのが辛くなるようになりました。

朝食もほとんど食べることができなくなっていました。

胃の調子も悪く、毎日下痢をしていました。

そういえばこの頃、初めて不正出血を起こし、婦人科にも行っていました。ストレスで無排卵月経になっているが、仕事に慣れればきっと良くなるので、また三ヶ月後に来て下さいと言われました。

 

彼氏の前で糸が切れる 

その当時、彼氏に送っていた平日のLINEのほとんどは「仕事行きたくない」「つらい」でした。

土日には彼氏と会うことが多かったのですが、仕事の話をするのを避けていました。休みの日にまで仕事のことを考えようとすると辛かったのです。

そして、ある休みの日にいつものように彼氏と会っていた時に、爆発してしまいました。

何かの拍子で仕事のことを話したときに、体がズシーンと重くなり、涙が止まらなくなってしまいました。

それまで張っていた緊張の糸が切れたように、ただひたすら泣いていたのを覚えています。

まるで自分の体が自分のものではないかのように感じられました。とても怖かったです。

 

出社拒否

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仕事に行っても、自分でも明らかに体がおかしくなってきていることを自覚していました。

頭がぼーっとして、気付くと涙ぐんでいました。勤務中にも腹痛でトイレに駆け込むことがありました。

そしてついに職場に行けなくなりました。朝起きて、いつもどおりに準備しようとすると、吐き気と動悸が止まらなくなりました。

体が自分の思い通りにならないことが怖くて、情けなくて、泣いていました。職場へ休みの連絡をすることが申し訳なくて辛かったです。

 

次の週、彼氏に連れられ心療内科に行きました。 彼氏が予約をとってくれていました。

 

 

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